アイリーン・シュウォネックさんへのインタビュー(5)
今回は、イハレアカラ・ヒューレン博士の元でクリーニングを実践してこられた講師の一人、アイリーン・シュウォネックさんにお話を伺いました。
(前回の続き)
俯瞰できると手放しやすくなる
―― 感情に押し流されそうになったとき、俯瞰的に自分を眺めて「悲しいのね、悲しいのね」「思考が働いている、思考が働いている」というように呟くことで冷静さを取り戻せて、クリーニングに切り替えやすくなるというお話でした。たとえば約束があってどこかに行かなくてはいけないのに、嫌だなという感情が出てきたら、どのようにしますか?
アイリーン・シュウォネックさん(以下、アイリーンさん) まず出てくる感情や思考に気づくことです。そして手放せるならそうする。すぐに手放せなくても「それが内側にある」と認識していることです。クリーニングをしてみて、最初は「行きたくない」という反応が自分の内にあったとしても、クリーニングをしながら行ってみたら有意義な体験ができたということだってあるかもしれません。
感情に支配されたりジャッジにとらわれたりしている状態のとき、自分自身をウハネ(表面意識・母)の立場に置いて、「ウニヒピリが感情やジャッジにとらわれている」という客観的な視点で俯瞰して認識できるようになると、クリーニングがスムーズになっていきます。恐怖や怒りや悲しみなどの感情から放たれて、神聖なる存在の「愛」に戻っていきやすくなるんです。
純粋性から選択する
―― 今回のクラスのテーマ「健康」についても、愛に戻っていく視点からお聞きしたいのですが、健康といっても身体的・精神的なものから、経済的な健康、社会的な(人間関係における)健康などさまざまな側面があります。
アイリーンさん 私たちの本質は物質的な身体ではなく、神聖なる存在の叡智と愛そのもの。その神性を宿しているからこそ、「身体」には自ら癒す力が備わっているのです。
不調はすべて、私たちの内側で何かを正す必要があるというサインなのだと認識する。クリーニングの機会を提供してくれているだけなので、プロセスとしてクリーニングしていきます。不調に陥ったときに「こんなに長い間クリーニングしているのに、どうしてこんな不調が起きるの!?どうしてこんなことを経験しないといけないの?」という感情が出てきても、それはプログラム(エゴ)の声で幻影のようなものなので神聖なる存在を信頼して、ウニヒピリに愛を注いで、クリーニングで手放していくのです。
―― クリーニングは、出てくる感情や思いを抑圧して自己犠牲を強いるのとは違いますよね? 日本には「自己犠牲こそが美しくて正しい」というような文化的側面があります。以前、KRさんに伺ったのですが、ひどい状況に置かれているにも関わらず、「ここに居続けてクリーニングすることが、私のするべきこと」だと思い込んでがんじがらめになっている人や、感情の赴くままに行動することがクリーニングだと思い込んでいる人が多いとのこと。生真面目で極端にとらえやすい国民性なのかもしれません。
アイリーンさん 神聖なる存在は自己犠牲を求めていません。「自分の人生で起こるすべてのことに責任をとる」というのは、人を裁いている状態に気づいて手放し、愛らしく幸せに生きるためのコミットメントなんです。それは自己犠牲や抑圧とは明らかに違うものですし、情感のままに流されるのとも違います。まずは、せっかく出てきた感情は受け取って味わって手放すものであって、自己犠牲で抑圧したり情感に流されるままだと、同じことが別の局面で出てくるだけの繰り返しになりますよね。
極端な思考や行動も、犠牲を強いる枠組みも、すべてプログラムです。ですから集合的に抱えているプログラムがあるということも認識して、それが良い悪いと裁くのではなく、神聖なる存在の「無(無限)」と純粋性から、個々がどのような選択をするのかだけなんです。
たったひとつの自己「I(愛)」を生きるときが来た!
―― 最後に今の話の流れとは違うかもしれませんが、「わたし(私)」という一人称には、エゴの側面「i」と神聖なる存在と一体となっている「I」の側面の両方がありますね。「わたし」という存在をどのように受け止めていくかについてお聞きしたいです。
アイリーンさん 本来、私たちは本質的に大きな存在そのものです。ですがここでは便宜上、「低次の自己」と「高次の自己」と表現しておきましょう。私たちは無意識のうちに自己を卑下して、低次の自己として「分離」された思考とエゴのプログラムに囚われているものです。ですが、この世界で生きることの意味は、低次の自己を演じて留まるのではなくそのようにプログラムされた在り方に終止符を打って、本来の神聖なる存在としての自己を知り、たったひとつの自己「I(愛)」を生きるときが来たのではないでしょうか。
「わたし」という器のなかにどんなプログラムがゴミのように入り込んでいたとしても、ゴミと自己を同一化せず、ただクリーニングして「本来の自己を発見し続けて、愛に還っていく」「自己を知る」ことが何より大切なこと。SITHホ・オポノポノの創始者であるモーナ女史も言っていましたが、クリーニングは「わたし」だけでなく、家族・親類縁者・先祖代々に遡って、コミュニティのあらゆる存在とつながっている。外側で起きている信じられないほど酷い状況に圧倒されて、ウニヒピリが押しつぶされそうになったときでも、答えを外側に探しに行く必要は一切ない。ウニヒピリをケアして内なる神性に嘆願してクリーニングをして、神性を表すだけでいいということ。このことに私自身も気づかされているところです。
―― ありがとうございます。クリーニングの原点にシンプルに戻ることができました。
(インタビュー:高木みのり)
(『元気な暮らし』2022年2月号掲載)
アイリーン・シュウォネック
ドイツ出身。2009年よりイハレアカラ・ヒューレン博士の元、SITHホ・オポノポノを実践。ミュニック(ミュンヘン)の民放テレビ局の教育チャンネルにて長年プロデューサーを務め、同時に作家、ロミロミセラピストとしても活動している。
IZI代表 KRさんより
2022年のホリデー・クリーニングツール黄金にきらめく粉でいっぱいの「粉おしろいの壺」。地球上の国境と文化的な問題、エネルギーや資源、あらゆる差別と虐待に関するクリーニングに。
当記事に関して
※当記事は(株)トータルヘルスデザイン発行の無料月刊情報誌『元気な暮らし』に掲載された記事を元に再構成をしております。
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