ネロ・チェッコンさんと吉川さんの対談(1)
今回は、SITHホ・オポノポノ講師のネロ・チェッコンさんと伊勢神宮に参拝し、吉川竜実先生と対談させていただいた貴重な内容をお届けさせていただきます。
世界中の森は繋がっていて木々が交信している
編集部(編) 講師のネロ・チェッコンさんと伊勢神宮の吉川竜実先生を訪ねています。ネロさんはすでに伊勢の森の木々とのコミュニケーションを楽しまれたそうですね。
ネロ・チェッコンさん(以下、ネロさん) 伊勢神宮にはすごく大きな木もあれば、それが細い木によって支えられていたり、しっかりした胸板まであるような木があったり、まるで人のようですね。どの木々もすごくイキイキとしていて、まず自己紹介をさせてもらったら友達と再会したような気持ちになり、木にもたれたら森林浴のお風呂に入ったように気を満たしてくれました。
世界をひとつに繋げているのは木だと思うのです。深い根っこの部分では木は全部繋がっているっていう神話もありますよね。
吉川竜実先生(以下、吉川先生) 昨夏にジーン・ナカサトさんがいらしたときに、「地球の裏側のアマゾンの森と、ここ伊勢神宮の森とはつながっている」とおっしゃっていました。人間には感覚的には分からないけれども、おそらく木々がそれぞれに繋がっていて交信をしているんだと思います。
ネロさん 確かに木々がコミュニケーションを交わしていますよね。
伊勢神宮のように大きくはないですが、私は森のようなところに住んでいまして、1本の大きな木があるんです。世界をよく旅して巡るので、旅行に行く前には必ず「これから旅に出るので、行き先の木さんに前もって伝えておいてください。それと何か必要なことがあったら私がわかるように教えてください」とその木に依頼しています。そして旅先に到着したらまず現地の木とお友達になって、その木にいろいろ教えてもらうとスムーズにコトが運びます。今日このような形で導かれているのもそのおかげだと思います。
吉川先生 日本では木に宿る神のことを木霊といいます。
ネロさん 木に宿る神に名前があるのですね。イタリアで40年前にヒットした曲に、「高層ビル街に住んでいる人たちはまわりに自然の木々がないためにビルを木のように思い込んでしまっている。でも田舎の自然の中にこそ本当の正しい木がある」という歌詞があるのです。今それを思い出しました。
吉川先生 高層ビルの上へ行くほどウツ病が増えるそうですが、大地からエネルギーをもらえないからでしょう。精神世界を追求する人はどうしても天にばかり意識が向かうのですけれど、本当はもっと大地に足をつけなくてはいけないと感じています。
ネロさん SITHホ・オポノポノの視点でも同じように捉えています。個々のアイデンティティを「ウニヒピリ―ウハネ―アウマクア―神聖なる存在(ディヴィニティ)」でひとつと捉えていて、ウニヒピリ(潜在意識)は根っこ、ウハネ(表面意識)は私たちが生きている大地であり人間界、アウマクア(超意識)は天にあたります。そして一番重要なのがウニヒピリで、ウハネと協力し合うことがとても大事なのです。その理由は大地との繋がりを表しているからで、根っこを通してすべてと繋がるということ。ですから先生がおっしゃるように下を通してでないと上には行けないのです。
吉川先生 いきなり上に行こうとしても繋がるわけはないので、むしろ危ういんですよね。
ネロさん そう思います。
木々とのお付き合いが地球の循環とバランスに繋がる
ネロさん 先ほど宇治橋を渡りながら、すごく大きなエネルギーの違いを感じました。
吉川先生 聖なるところと俗世を隔てているのが五十鈴川で結界になっています。橋を渡ることによって聖なる神さまの宮域に入ることができます。この川は宮域を守るためのものなのです。
古い日本の神社では、すべて海に面した島や四方を川で挟まれたところに位置しており、邪悪なものが入れないようにしています。ある意味で現世の我々が異界へ入っていくような形です。
ネロさん 境界線のように分けることによって、違いを明確に感じるという意味もあるのですね。そういう意味では扉が開くということでもありますね。
吉川先生 それと今日は満月ですが、神道では満月の光を浴びた水というのは浄化作用が強いと考えます。式年遷宮で社殿が新しくなった際に、「洗清(あらいきよめ)」というクリーニングをするのですが、その時の水にも使用しています。
ネロさん お月様の光を浴びたものということですよね。フラフラするほどパワフルな力を感じます。この川の源流も伊勢神宮が管理して守っているのですか?
吉川先生 次の遷宮のためにヒノキが1万3千本必要ですので植林をして山にも手を入れて管理しています。ただし多種多様な木を一緒に育成しています。混合林の方が保水量が増し、森に活力がみなぎってヒノキがよく育ちます。ちなみに日本の森の特徴はイギリスの約50倍の草木の種類があるといわれるほど多様性に富んでいることなのです。環境学者にいわせると、先ほど渡ってきた宇治橋からこの森を眺めるとジャングルと同じ形態を持っているそうです。
五十鈴川の水は複数の水源地から注ぎ込まれていますので、その森を活性化することによって綺麗な水源を確保し、下流にある神宮所有の田畑では自給自足もしています。
ネロさん 木々の高さもさまざまで全部違いますね。
吉川先生 この森には高い木、中間の木、下草というようにうまく自生しているのが見て取れ、健全な森における環境が構築されています。落ち葉も集めて森に返していますので好循環を生み出しています。神道では森から木を頂戴する時には必ず神祭りをして感謝を捧げます。そして人が使うのは真ん中の部位だけで、木の本末(もとすえ)は神にお返しすべく伐採した切り株に穴を開け小枝を刺して再生を祈るのです。それを鳥総(とぶき)といい今から1千年前の歌集『万葉集』にも出てきます。
ネロさん 木々に祈りを捧げるのですね。森の木々に祈りを捧げる儀式がネイティブアメリカンにあって、中央に立てた大きな木の周りで踊るのですが、その木を伐る時に「伐らせていただいていいですか?」とお願いをしてから伐るのと同じですね。
実は今イタリアで、家とワークショップをする場所の他に、もう一つ土地を購入しませんか?とオファーされているのですが、私に購入する意志があるかどうかよりもむしろ木の答えを待っている状態です。土地の手入れも全部木々と対話をしながら行っていて、倒木があっても一切捨てることなく全部活用しますので最後の一枝まで大事にして暖炉で使っています。
吉川先生 とても縄文的ですね。神宮でも木が倒れて再起不能になりますと、森の中から同じような木を持ってきて植え替えるので800年経っても同じような景観になります。天照大御神の住まいでも木霊に遠慮してその木を活かすべく垣根を設けたりして、まるで木々との親愛なるお付き合いが表現されているように思います。
ネロさん 人と自然、自然と自然のハーモニーとバランスがあるわけですね。
木を伐って元の状態に戻すことでお互いに循環ができるので平和とバランスを保つための明確なる意図を感じます。人と自然、人と地球上のあらゆる存在が平和を保つような意図で行っているのではないでしょうか。伐りっぱなしだと調和が崩れてしまいますよね。
吉川先生 だからこそ伊勢の森ではこの平和を保つために2千年以上も同じことを繰り返し行ってきたのでしょうね。
(次回へ続く)
(文責:高木 みのり)
(『元気な暮らし』2024年4月号掲載)
平良ベティさん(右)
吉川竜実先生(中央)
ネロ・チェッコンさん(左)
当記事に関して
※当記事は(株)トータルヘルスデザイン発行の無料月刊情報誌『元気な暮らし』に掲載された記事を元に再構成をしております。
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